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東北交流応援プロジェクトPride of JAPANファイナル 2023報告書
2023/10/01
実行委員会代表 雑賀日出夫
1、 実行委員会(主催)
◆会計リーダー 荻野さん
◆現地調整&案内リーダー 石川さん
◆バス組リーダー 小椋さん・原田さん
◆音響リーダー 土屋さん・佐藤さん
◆撮影リーダー 小林さん・福島さん
◆焼き鳥焼きそばリーダー 橋本さん・新井さん・大樹さん
◆進行リーダー 橋立さん・中本さん
◆受付リーダー 石村さん・橋立匡巧さん
◆石巻チア隊リーダー 向畑さん・今井さん
◆看護班 橋立幸絵さん・石村さん・向畑さん・今井さん ※兼務
◆きずなライブ 小川マキさん・寺地さん・岩渕さん
◆懐かしの名曲メドレー 松岡里奈さん・藤原さん
◆抽選会&横断幕リーダー 木村さん・藤澤さん
◆保険&会場清掃リーダー 瀨在さん
◆施設利用&集客リーダー 雑賀
◆ゲスト 佐藤富士夫さん、平井専務(石巻日日新聞)、木村長努会長(木の屋石巻水産)
◆後援 石巻専修大学、石巻日日新聞、三陸かほく
◆協賛 西島株式会社、荻野税理士事務所、京メディカルクリニック
2、 ご寄付頂いた方
岸本京子さん(含む救護面の監修)、荻野孝さん、久保木義浩さん、福井雅一さん、
クロストークさん、長島徹人さん、西島豊さん(お煎餅)、金井麻衣子さん、
図師みなみさん(ダンスレッスン)、木村長努さん(缶詰)、雑賀日出夫(菓子折)
3、 ご挨拶と私の感想など
皆さんのご支援により、コロナで3年延期していた「POJ10年目=ファイナル」を、無事に終了できたこと、心から感謝申し上げます。特に、ご多用のところ、優先順位を一番にして頂き、ご一緒頂いた実行委員の皆さん、本当にありがとうございました。POJの理念に賛同頂き、ご自分の最善を尽くしてくださったことに心から敬意を表します。
また有形無形のお力添えを頂いた、多くの皆さんにも感謝申し上げます。
今回もたくさんの思い出、気づきがありましたが、大きな学びを3点お伝えいたします。
① 「物事は決めてから取り組む」
当初お世話になった佐藤富士夫さんから、津波で流された奥さまやお孫さんのことを「落ち着いて考えるには10年は掛かるかな」と伺いました。そのため、「毎年夏の終わりに伺い、10年続けよう」と決めました。殆どのボランティアは3年以内で終わったそうです。
「良く続けていらっしゃいますね」との言葉を頂きましたが、被災者の皆さんのお気持ちに寄り添いたいとの思いで、早い段階で10年間やると決めたことが、10年間続けられた最大の秘訣だと考えます。
やはり、物事は最初に決めてから取り組むことが肝要ですね。
② 「どんな状況でもプラスを見つける、そしてこれまでに感謝する」
これまでも、「集客ができない」「バスの目途が経たない」「音響装置が届いていない」など大小さまざまな問題が発生しました。今年はコロナのため4年ぶり、しかも9月上旬に日程を遅らせたこともあり、これまで支えて頂いたコアメンバーの皆さんの辞退が相次ぎました。今だから正直申し上げますと、寂しくてたまりませんでした。
そのような時に、思い出したのが、昨年和田きみ子さんから頂いたアドバイスです。和田きみ子さんは、ヤオハンの経営者である故和田一夫さんの奥さまで、天国も地獄も味わった方。そのきみ子さんから、 「どんな時もプラスの面を見つけなさい」と教えられました。これまで二日間ともPOJを実施、慌ただしく準備して片づけることをしていましたので、演者が集まらないのであれば、ファイナルらしく、一日は大川小学校跡や石巻ニューゼなどを視察し、佐藤富士夫さんや平井常務、木村会長などお世話になった方々にお会いするようにしました。
更に、一番の大きなハードルが、一緒に行ってくださる実行委員が集まらないということでした。
今回も経理面は荻野さん(税理士)が全面的に支えてくださっているのですが、その時の推定では、約30万の赤字。家内から、「やりたいことをやっているのだから、旅行に行ったと思えばいいんじゃない」と諭されました。赤字になっても実施し赤字になった際は、全て負担する覚悟を決めました。
6月23日から8月11日まで、毎日通勤や昼休みなどの時間や帰宅後の1時間を使って、お誘いのメールやメッセージを送り続けました。一方で速やかに参加するかしないかを明確に回答してくださる方、参加できないが「連絡を頂いたこと自体が嬉しい」と言ってくださる方、心温まるメッセージで励ましてくださる方もいれば、他方で返信がない、「検討します」「参加する確率は20%です」等態度を保留され、その後連絡がない方も少なくありませんでした。「参加されない方はご事情があり優先順位が異なるので、これまで支えてくださったことに感謝し、一切の失礼がないようにしよう」とこれも決めていました。
但し、残りの人生は自分が大切にしているものを大切にしてくださる方とご一緒したいと思っていましたので、途中から、これは「人的ネットワークの整理になる」と捉え、声を掛け続けました。
「もうお声掛けする方はいない」と思ったことが三回ありました。仕事や人生は「もう駄目だと思った時から始まる」という言葉を思い出し、何度もお声掛けする方を洗い出し、そしてメッセージを送り続けました。バス組は5名からなかなか増えず、8月10日の時点で7名。
8月11日次男の結婚式から帰宅、私のスマホが鳴りました。料亭のご主人であった橋本さんからの電話で、「健二郎・孫の大樹と参加します」との連絡を頂きました。嬉しすぎて嬉しすぎて、橋本さんが 神様に思った瞬間でした。結果的にバス組が15名、現地合流も加えると約30名規模になり、有形無形のご寄付も含め、黒字化することができました。
おまけですが、8月27日に発熱。普通の風邪ではないと感じ、8月29日に通院。医師から「コロナだったら石巻には行かれません。インフルエンザだったら特効薬があり、熱が下がって二日上がらなければギリギリ石巻に行けます」と言われ、検査結果はインフルエンザでした。インフルエンザで良かったと思った瞬間でした。そのため、病み上がりで皆さんへの配慮に欠けていたかも知れません。
③ 崇高な理念に向かう明明徳は助け船が来る
POJの理念は、「東北の皆さんが、国難とも言われる有事に示してくださった『日本人の精神性の 高さ』、具体的には、我慢強く秩序だった行動に私達日本人の多くは大変勇気づけられ、日本の誇り (Pride of JAPAN)だと感じました。
それに感謝し、各自がそれぞれの専門分野や強みを活かして、徹底的に何ができるかを考えて応援させて頂きたい。被災者の皆さんが立ち上がる後押しをさせて頂きたい」です。
そして、コンセプトは、毎年「実行委員はエントリー制とし」「それぞれの専門分野や強みで」「思いを一つにして」「自己の最善を尽くし切る」というものです。
10回やってきて最も感じるのは、人間は本質的根源的に崇高なものを求めているということです。実行委員の皆さんの中に、そして私自身に中にも『日本人の精神性の高さ』が、まだ宿っていたという確信です。
また「徳とは、自己の最善を他者に尽くし切ること。」
「崇高な理想に向かった徳を繰り返していると、相手と感謝の人間関係が出来上がり、自分が困った時に助けてくれる」と、田口佳史先生から学びました。10回やってきましたが、その時その時に問題が生じた際、その都度必ず助けてくださる方が現れました。そして、最終的には全部が得られるということを実感しました。
今回も向畑由真さんや橋立幸絵さんが、それぞれ「ダンスで皆さんに来て頂きましょう」「天風会の日曜行修会で話してみたらどうですか」など、実行委員を増やす協力をしてくださいました。そして、実際増やすことができました。また小川マキさんが挫けそうになった時に励ましてくださいました。彼女たちの一大事の際は、どんなことがあっても駆けつけたいと思っています。
逆を言えば、助け船が来ない、誰も協力してくれないのは、崇高な理念に向かっていない、最善を尽くしているのかどうかがわからない、中途半端な状況であると言えるかも知れません。
これらの三つの学びは、第二幕、「平時から日本人の精神性の高さが発現される」プロジェクトにも活用していこうと思います。
4、 2023年度の振り返り
【良かった点・嬉しかったこと】
- 現地で全てのご調整をしてくださった石川さん、経理面で10回全てをボランティアで支えてくださった荻野さんには、心より御礼を申し上げます。これまで何度もやりとりをさせて頂きましたが、一度たりとも否定的な反応を経験したことはありません。お二人なくして、私が演者や実行委員の方々を集めることに専念することはできなかったと考えます。
- 小掠さんと原田さんが今回もバスのボランティアを引き受けてくださいました。金曜の夜から運転 頂き、土曜日の朝から各所を回るのは負担が大きいと思いましたが、「二人で交代しながら運転 するので、大丈夫です。皆さんにとって良いファイナルになるようにしてください」と、全面的にサポート頂きました。
- 当日会場に被災者の皆さん方が集まって頂けるかが微妙な状況でした。そのため、前日に会場に行き、チラシを持って直接近所の方々に全員で案内することにしました。また、当日準備の時に、 復興団地の皆さん方に聞こえるようマイクを使って案内させて頂きました。功を奏したようで、約30名の皆さんに来場頂きました。
- 土屋さんは佐藤さんをお連れ頂き、音響面のサポートを二人で引き受けてくださいました。集会所のイベントでこのレベルの音響クオリティーは絶対にないと思います。沢山の機材が物語っていたと思います。本当にありがとうございました。
- ご病気と闘いながら、10回全てに駆けつけてくださった小川マキさんと、寺地さん・岩渕さんのバンドの皆さんには、言葉では感謝の気持ちを表現できません。今でもプロジェクトのテーマソング「きずな」を最初に聴いた時に、涙が溢れて止まらなかった時を思い出します。マキさんの歌手生活20周年とPOJ解散ライブのコラボは集大成として、最善を尽くして協力をさせて頂こうと思います。
- 早い段階で参加すると表明してくださった小林さん、中本さん、向畑さん、橋立幸絵さん、木村さん、藤澤さんは、とても心強く、勇気を与えてくださいました。そして、橋立匡巧さん、福島さん、 今井祐花さん、橋本さん、新井健二郎さん、新井大樹さん、石村さん、瀬在さんには、参加のご連絡を頂くたびに、嬉しく喜びを与えてくださいました。ご一緒頂き、本当にありがとうございました。
- 小林さんは、これまで動画の撮影と編集・HPをボランティアで一手に引き受けてくださいました。
終了後も二度楽しむことができるのは全て小林さんのおかげです。今回もファイナルに向けて「これまでの12年間の歩み」をまとめてくださり、会場で被災者の皆さん方と一緒に拝見することできました。また参加者全員で「きずな」を歌い繋ぐ映像を作ってくださっています。そして福島さんが完璧なアシスタントを務めてくださいました。どんな動画になるのか、とても楽しみです。 - 橋立幸絵さんは早い段階から内容を把握し、自主的に司会進行表を作成してくださいました。
そのため、中本さんと一緒に安心してお任せできました。また、万一の時に備えて、岸本京子さんと連携し、救護面の準備もして頂きました。本当にありがとうございました。中本さんには、私が病み上がりだったため、バス内の自己紹介や気づきの共有などの進行をして頂きました。 - 演者に困っていたところ、向畑由真さんが今井祐花さんとダンスパフォーマンスに名乗りを挙げてくださいました。さすが、娘分です!その場に居合わせた福島さんと私もいつの間にか、なにわ男子「サチアレ」を踊ることになりました。
- 本番までどうして良いのか困っていたところ、図師みなみ先生がダンスのレッスンをボランティアで引き受けてくださいました。これは私達のニーズを満たす完璧なレッスンで、このレッスンがなければ、準備できなかったと思います。
前日に急遽、橋立幸絵さんと橋立匡巧さん、新井大樹さんも加わって頂き、賑やかな「石巻チア隊」になりました。本番は、高校時代チアで活躍されていた今井さんの格好いいキューティーハニーに続き、 向畑由真リーダーがダンスのレッスンを行い、会場の皆さんと一体となった「サチアレ」になりました。 - 出し物が少ない中、橋本さんはこれまで同様食材をご提供頂き、新井健二郎さん、お孫さんの大樹さんの親子三代で、「焼き鳥・焼きそばの振る舞い」をしてくださいました。被災者と実行委員のお腹も心も満たされました。三年ぶりの焼酎「まろがめ」も美味しく頂きました。
- 松岡里奈さんが、ギターリストの藤原さんを連れて駆けつけてくださいました。前日も別のところで ライブをされていたそうですが、「石巻に伺います」と言ってくださり、彼女らしいパワフルでショーマン シップ溢れるステージで、会場を楽しませてくださいました。被災者の方が途中から踊ってくださるなど、見事なトップバッターを務めてくださいました。
- 初期に参加頂いた瀬在さんが、ご多用のところファイナルに駆けつけてくださいました。保険面のサポートをして頂きました。
- 名古屋の木村さんが、仙台の藤澤さんを誘ってご参加頂き、抽選会の商品のご準備や当日の 進行を担当してくださいました。抽選会が盛り上がったのはお二人のおかげです。本当にありがとうございました。最後の「きずな」の合唱には、歌詞を書いた横断幕をお持ち頂きました。
- 西島豊さん(西島株式会社代表取締役)には協賛を頂き、今回も美味しい「西島煎餅」を ご寄付頂きました。本当にありがとうございました。抽選会の景品に加えさせて頂きました。
- 私達が道の駅(上品の里)で入浴や食事をとっていると、木の屋石巻水産の木村長努会長が駆けつけてくださり、美味しい鯨の缶詰をプレゼントしてくださいました。実行委員は大喜びで、残りは抽選会の景品にさせて頂きました。本当にありがとうございました。また翌日のファイナルにも会場にきてくださいました。先月石巻市にふるさと納税し、木の屋石巻水産の缶詰が我が家に届きました。
- 石巻専修大学さんには、第一回の共催からご支援を頂き、今回も教員食堂や教室を無償で貸してくださいました。小野常務や高橋事務部長のおかげだと思います。
- 石巻日日新聞の平井常務が笑顔で迎えてくださり、「6枚の壁新聞」などについて、背景や内容について丁寧に説明してくださいました。
【こうすればもっと良くなる点】
- 3年ぶりでしたので、もう少し早くから打合せを行い、チームとして取り組めば良かったと反省しています。
- これまで通り、8月下旬に実施していたら、より多くの実行委員の皆さんに参加頂いたかも知れません。
終盤支えてくださった実行委員の皆さんのご要望などを伺うべきでした。 - 焼き鳥を焼いている場所や受付などに私が出向いて、実行委員の皆さんがそれぞれの持ち場で、最善を尽くされている様子を目に焼き付ければ良かったと思います。
新井大樹さん(大学生)
私は今回記念すべき第10回目に初めて参加させていただきました。POJを企画・運営して頂いた雑賀さんをはじめ皆様に感謝申し上げます。
1日目
現地に着くとまず大川小学校を訪れました。ここは多くの小学生が津波に流されて亡くなった場所だと説明を受け、当時小学生だった私は言葉を絶しました。ボランティアだけでなく被災地の記憶を体験出来たのもとても良かったです。
2日目
ボランティア当日、私は焼き鳥を焼く仕事を任されましたので炭をつけるところから励みました。しかし、現実はそう上手くいかずタレを忘れたり炭が全て消えたりもしました。紆余曲折あった中での精一杯を届けることは出来たと考えているので私としては満足しています。さらにダンスを前日の夜覚えて現地の皆様の前で踊らせて頂きました。かなり見苦しいものになってしまいましたが、今では良い経験だったと思います。
総括
POJは5年ほど前から父と祖父が参加していたので軽く知っていました。しかし、中学、高校生だった私は部活動に専念していましたので参加が叶いませんでした。そんな訳で今回は念願の初参加でした。祖父から仮設住宅の前で食事を出したり、マッサージをして来たとよく話を聞いていました。ですから、震災から12年経った今でも仮設住宅をイメージしていたのですが、実際は家が建っていて皆さんがそれぞれ暮らしていました。正直、コロナ禍もあったので予想していませんでした。震災もコロナ禍も乗り越えた皆さんの力を現地に行って強く感じました。まさしくPride of Japanだと思います。
最後になりますが、10回続けるとおっしゃった雑賀さんの思いを実現した一員になれて嬉しく思います。
本当にありがとうございました!
小川マキさん
2011年震災直後、当時あの状況下で 何か行動を起こさねば・・・と思っても 「わたしに一体何ができるだろう?」 そんな風に自問自答して 何もできない自分の無力さに打ちのめされていました。
そんな折り、 POJ主宰者の雑賀さんから テーマソングを作って欲しいというお声掛けをいただき、わたしに存在価値を与えてくださいました。
「心の復興までは長い長い年月がかかる。 10年間はつづけよう!」 という目標を雑賀さんは最初に掲げられました。 雑賀さんの思いを支えることが 天から与えられた使命だと受け止めて 最後まで全うしよう!! そう心に決めたことで 10回の石巻訪問を成し遂げることができました。
コロナ禍を挟んで、途中3年間中断しましたが 13年越しに最後のイベントを開催できたのも、 雑賀さんの実行力、求心力、突破力の賜物だと思います! 雑賀さんをはじめ、 プロジェクト実行委員の皆様 本当にお疲れ様でした。 そして、素敵な役割を与えてくださり 本当にありがとうございました。
中本裕介さん
この度は、全10回大変お疲れ様でした。
HPの作成から10年間分の映像、毎回の現地根回し、参加者集めなど、表には見えないたくさんのご苦労があったと想像させられます。(※HPや映像は小林さんが、現地の根回しは石川さんが全てやってくださいました)結果的には、中学生やその関係者、大人・お子さんたち等、 これだけの多くの方が参加をされて、何より全10回やりきられたところに敬意を表します。
毎回、地元の方の笑顔を見られたときには、無償の喜びを感じました。
心の復興とは何かを感じさせられました。
時間が解決するものはあるかもしれませんが、過去の事実は消えない。
その中でも見返りを求めずに、損得抜きに集まったメンバーが繰り広げるイベントは、しっかりと現地の方に届いていたと思います。現地の方の笑顔や涙をみる度に、私自身が心の浄化をされたように感じます。
よく、「初めに何もないものは、最後まで何もない」という言葉がありますが、POJの根っこに、何のためにやっているのかの理念がしっかりとあるからこそ、毎回初参加の方の、よくわからないけど行ってみる、という行動喚起が生まれたのだと思います。
これは、雑賀さんとの信頼やご縁も大きいですが、お金と時間をかけて行ってみる、という人が動かされる事実にこそ、POJの理念=主催者雑賀さんのこれまでのご自身の人生との向かい合った量や努力が凝縮されているからだと思います。
誰と何をやるのか、がとてもわかりやすいのがプライド・オブ・ジャパンだったと思いますし、どんなトラブルが起きても、冷静に対応してやりきる心温かいメンバーの姿を通して、本来ある日本人の姿に触れられたような気がします。
ここ3年コロナで一気にリモートが進みましたが、どんなに時代が進んでも、人は誰かと繋がっていたい、どこかで絆を感じていたい、そこにこそ心の充実があるのだと思います。それを体現できたことは、 とても大きな経験となりました。
改めて、私自身が雑賀さんと出会えたのは、2016年6月ごろに池袋で行われた山田宏先生の講演会です。その場にいらっしゃった、龍馬プロジェクト関係で出会えた児島さんが、講演会の司会をされていた雑賀さんと、その場で引き合わせてくれたことから始まっております。人は出会いによって人生がつくられている。そのきっかけは何だったのかを忘れずに、これからも「袖振り合う縁をも活かす」で、精進して参ります。
後半の全5回参加させていただきましたが、POJで学んだことを自らで考え、私自身も人を巻き込んで喜びをつくれる人材になりたいと思いました。改めて、この度は貴重な人生経験を積ませていただき、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。
小林和彦さん
今回、初めて現地の方々に映像をご覧いただくことができて非常に感慨深かったです。 映像の冒頭で辛い当時のことを思い出させてしまったかもしれませんが、これまでの活動の中で私が強く感じた、被災者の方々の「忘れないでほしい」「記憶に残してほしい」といった想いを、このファイナルで表現できて映像制作者として満足しています。
また今回ご参加の皆さんに出演協力いただきました映像は、現在編集途中で近日公開いたしますが、手作り感があってPride Of JAPANの良い記念になりそうです。ご協力に感謝いたします。
今回でファイナルとなりましたが、参加中や帰りのバスの中でこれまでのことを幾度となく思い起こしました。心の奇麗な方々にとてもたくさんお会いできたこと、自分としてもこの10年間でたくさんのことを経験、勉強させていただき成長できたこと、大変うれしく感じます。
雑賀さん、石川さんをはじめ、これまでご参加いただいたすべての方々、石巻の方々、全員に対して感謝の思いでいっぱいです。
心から、どうもありがとうございました。
向畑由真さん
大変学びが多く、長くなり恐れ入りますが下記感想をお送りします。
改めまして、ご一緒させてくださり本当にありがとうございました😊✨
・10年間同じ場所でプロジェクトを実現できる凄さ
私が参加させて頂いたのは後半2回のみですが、10年という長い期間に渡り、それも継続して同じ方々、同じ場所で活動できていることの凄さを感じました。
10年続いていることが、来た時よりも綺麗にして帰るや、しっかりと喜んでもらうことができている証拠なんだと思いました。何かプロジェクトを継続するのであれば、毎度、何を重ねるか、積み重ねられるかが大事。素晴らしい関わり合いは重ねるほど関係が強化し、不徳の関わり合いは重ねるほど忘れたい思い出になるんだろうなと学びました。
・親子三代でボランティア
親子三代で遊びにいくことはあっても、ボランティアははじめてという話を聞き、大切な人とどんな種類の時間を共にできているか、振り返りたいと思いました。
・形にできそうだからではなく、すべきと思ったことを形にすると決める
特に、今回は演者さんや実行委員がなかなか集まらない等の難局に立ち向かう雑賀さんの姿勢を肌で感じることができ、きっと雑賀さんは「形にできそうだからやる!」ではなく、(始める段階では見えてなくても)「形にしたいからやる!」と決断されているんだろうなと思いました。自分が立てている目標は、できそうという前提があるもののなかで、小さく決めていないか振り返りたいと思いました。
木村隆夫さん
名古屋から参加した身としましては、大川小学校、復興祈念公園、石巻日日新聞社等の見学、石川さんの語り部、雑賀さんのプランニング等の素晴らしさに涙が出ました(泣)。
本当に大満足、お腹いっぱい、充分モトが取れました(笑)。
POJでお会いした皆さま、言葉は悪いかも知れませんが、「損得にかかわらず行動される、器の大きな方」ばかりです。皆さまとお会い出来ました事は、若輩者の私の財産となりました。
今後も、末永くお付き合い頂けましたら幸いでございます。
名古屋に来られる際は、是非ひと声お掛け下さい。
最後に、POJの代表を務められたのは、雑賀さんだからこそ、皆さんも10年間、ついて来られたと思っております。雑賀さん、ご苦労しかなかったかと思いますが、本当にありがとうございました。
橋立幸絵さん
2018年の参加に続き、2度目の参加です。今回も親子で参加させていただきました。私自身は5年振り、POJの活動としても4年振りの石巻入り、そして今回がファイナルということで、思いはひとしおだったのは、参加された皆さん同じだったと思います。
今回、土曜日は被災地や伝承館を訪れ、
「あの日何が起きて、なぜこの活動をしているのか」を、あらためて心に留めることができました。
個人的には、石巻日日新聞社を訪問できたことが印象深いです。あの6枚の壁新聞に携わった方から直にお話を聞くことができ、自らも被災しながら震災翌日から、壁新聞で多くの人に確かな情報を伝えることに全身全霊をかけたジャーナリスト達の思いが伝わってきました。
スタッフ皆がそれぞれの思いをこめて、日曜日の石巻市の皆さんとの交流イベントを迎えられたことは、POJファイナル、活動の締めくくりとして、たいへん意義があったと感じています。
イベントでは前回に引き続き、司会進行を担当させていただきました。そして今回、同行できなかった医師の岸本さんの穴を埋めるべく、女性スタッフ4人で看護班も担いました。まだ残暑が厳しく日中の気温はかなり高くなりましたが、看護班の出番なくイベントを終えられてホッとしました。
イベントでは、前回以上に会場との一体感を感じました。音楽ライブではステージにあがって共に歌い・踊ってくれるお客様も。そして最後はマキさんのリードで会場の皆さんで「きずな」の大合唱――会場にいらしてくださった方に少しでも楽しい時間を過ごしていただけたなら幸いです。
日程的に決して楽ではない強行スケジュールではありましたが、達成感と、そして何とも言えない清々しさがあります。POJの一員として最後の活動に参加できたこと、ご一緒してくださった皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。
橋立匡巧(たすく)さん(大学生)
POJを通して、関わった人たちのことを知り、底知れない人の優しさや日本人としての誇りを持つ方々の行動力に驚かされる特別な体験ができました。
5年前、初めて参加したPOJにて目にした惨状には、すっかりと真新しい住宅が並んでおり、けれど、復興を果たした街を見た時、どうしてか心の隅で物寂しさを感じました。
しかし、イベントで見た石巻市のみなさんの楽しげな様子や、司会進行や裏方で動くみなさんの顔を見て、心の復興が追いついたように感じました。
2回目の参加で最後になってしまい、寂しく惜しい思いです。非日常で唯一、特別な経験をくれた雑賀さん、とてもよく気を遣っていただいた中本さん、橋本さん。また、POJに関わった多くの方々に感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。お疲れ様でした。