【実行委員の感想】福島 勇軌さん

Pride of Japan Final(2023)に参加して(個人まとめ)

Pride of Japanとは

下記の理念を掲げ活動を行う団体・社会企業

「文化に根ざす規律・秩序を保つ日本人」(CNN)

東北の皆さんが、国難とも言われる有事に示してくださった『日本人の精神性の高さ』具体的には、我慢強く秩序だった行動に私達日本人の多くは大変勇気づけられ、日本人の誇りだと感じました。
それに感謝し、各自がそれぞれの専門分野や強みを活かして、徹底的に何ができるかを考えて応援させて頂きたい。立ち上がる後押しをさせて頂きたい。
また、平時から『日本人の精神性の高さ』が発現できるように発信していきたい。具体的には、『規範形成教育』のムーブメントを興し、日本を清く美しい流れに戻したい。(代表:雑賀日出夫)

まとめ(福島)

東日本大震災で「日本人の精神性の高さ」を示してくださった東北の皆様に感謝し、立ち上がる後押しをしていく団体であり、その活動を通して団体に所属するメンバー自身が日本人の『規範』を身につけ成長していくことを目指している。
「感謝」が活動の原点だから、
・感謝の表し方を各自がそれぞれ強みを活かして、自分たちで考える
・10年続けるというのは終わりが物理的に目に見えるものではないが故(=気持ち・精神の節目)

スケジュール


9月2日(土) 感情・気づき・学び_大川小学校

[大川小学校]
[震災時]

[概要]

東北地方太平洋沖地震東日本大震災)では、近くを流れる北上川を遡上してきた津波に巻き込まれて児童:74名(108名中)・教員10名が死亡。震災直後に校庭へ全児童避難(市民も避難)、その後 避難場所をめくって議論が行われた結果、北上川付近の三角地帯に最短ルートで避難することとなりその途中で堤防を超えた津波に巻き込まれた。議論では裏山に逃げた方が良いという児童・教員もいた。

[感情]

● 校舎・展示物を見ると胸が張り裂けるほど辛い気持ちになる。
● 裏山にさえ逃げていればと何度も思ってしまう。
(実際に裏山に登ったが5分程度※当時は雪もあり足元は悪い)

[気づき・学び]

● 当時の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が「第二次避難(近隣の空き地・公園等)」しか記載がなかった。案内いただいた石川さんは「マニュアルがなかったことが原因」とお話されていた。

[学び]

● 人間が危機に直面した際に正しい行動をとるため(特に大勢)にはマニュアルが必要であり、かつ、それは具体的なものでなければならない。会社・生活の中で危機があった際の自身の行動を改めて見直し、準備する。またマニュアルの表現(危機関連)は具体的に作成する。

[その他]

● この付近は伊達政宗の時代に改修され起伏が緩やかな地域となった(by石川さん)
● 大川小付近の民家は全て流された(今は駐車場)

9月2日(土) 感情・気づき・学び_石巻ニューゼ

手書き壁新聞
平井さんからの説明

[概要]

石巻日日新聞社が運営する「石巻ニューゼ」は、〝ニュース〟とフランス語で博物館を表わす〝ミュゼ〟を合わせた言葉で「ニュース博物館」を意味する。館内には震災直後に発行した石巻日日新聞号外の「手書き壁新聞」実物と被災直後の石巻市、東松島市、女川町の写真も公開。

震災翌日3月12日から3月17日まで壁新聞発行(計6部)、3月18日からは簡易印刷になり、その後通常の新聞が発行される。震災によって印刷機が故障したが印刷用紙はどうにか使用できる状態であった。新聞社の使命として情報を伝えなければという想いから社長が手書き新聞の発行を決断。1枚書いたら、それを手書きでコピーし、避難所へ貼ることを行った。大切にしたのは関東大震災の教訓から「正確な情報で行動」を促すということ。また、2日目からは情報を伝えることに加えて「石巻の方に前を向いてもらう」ことを意識した内容へ変更していった。(左の写真からもその変化が読み取れる)

[感情]

●震災当時、実際の記者として担当していた平井さんからの説明。リアリティがあり、当時の混乱の状況が非常に伝わり、聞き入る。
●手書き壁新聞の発行に至った背景やその内容に、新聞記者としての本質が見えた。自分の会社の自分の仕事の本質を考えさせられる。

[気づき・学び]

●当仕事の本質は何かを考えれば手段や形は変わっても、使命をまっとうできる。
●良い言葉や文章で人の気持ちが変わる。良い情報や言葉を自分に入れる、周りに入れることが大切。

9月2日(土) 感情・気づき・学び_その他

[『がんばろう!石巻』看板]

●3代目の看板。震災1ヶ月後に地元有志が作成。
●続けること・繋げることに意味がある。
●言葉・文章は人の心を動かす。

[旧門脇小学校]

●1階まで津波が押し寄せ、その後火災で全焼。
●震災直後、児童・職員らは訓練通り日和山へ避難し全員無事。
●大川小学校の事例と比較をしてしまう。やはり、危機の際の避難のマニュアルと訓練が重要であるということがわかる。

[佐藤富士夫さん]

●白浜の自治会長であり、地域のまとめ役の佐藤富士夫さん。
●白浜ビーチパークを訪問。白浜ビーチパークは非常に手入れがされていて綺麗であった。机・椅子がある建屋の前にはオリーブが植えてあった。
●佐藤さんは坦々と最近のことをお話されていて、あまり震災当時のお話はされていなかった。薄い水色のシャツを着ていたが、汗で濃い色に変わっていた。
●震災で奥様とお孫様がお亡くなりになられたと、雑賀さんから伺う。当時どんなお気持ちでいたか、今どんな気持ちで毎日を過ごしているのか、佐藤さんの心情を察すると言葉にならない(現地)。
●自宅に帰って佐藤さんのことを調べると複数記事がある。現地での気丈な振る舞いとのギャップで涙が止まらない。

9月2日(土) 本番前準備+決起集会

『それぞれ、家庭や仕事で大切なご予定がある中、今日のPOJ参加のプライオリティをNo.1にしていただき感謝します。(雑賀さん)』

思いを一つに決起
宿泊先の石巻専修大学
ダンス練習

9月3日(日) 当日_準備

蛇田第一集会所
受付準備
お客様待ち
焼きそば調理
食品搬入
焼き鳥調理
プレゼント作成

9月3日(日) 当日_本番

これまでの歩み(VTR)
プロ歌手(小川マキさんバンド)
プロ歌手(松岡さん+藤原さん)
子供たちも来てくれました

9月3日(日) 当日_まとめ

[感情]

<開始前:不安>
●チラシ配りをしたが、お客様は来ていただけるだろうか。
●ダンス上手く行くだろうか。

<開始後:安心・喜び>
●無事終わってよかった、お客様も沢山きていただいた
●歌に聞き入った、お客様も楽しんでいただいて本当によかった。

[ハプニング]

●今井さんのiPhoneから音楽が流れない! → 向畑さんのiPhoneに変更(色んな方がサポート)
●橋本さん焼き鳥のタレ自宅に忘れる! → 塩味に変更、すごくおいしかった。
●向畑さん、ダンス早々にボンボン放つ! → そのまま続行し、無事やり切った。
●福島、帰りのバス(高速)でトイレに行きたくなる!→ 小椋さん/原田さんに快くPAに止めていただいた。

[気づき・学び]

●ハプニングが起きてもなんとかなる!みんなが当事者であれば、みんなサポートして色んな考え(代替え案)が生まれる。
●思いを一つにして目標と役割があれば、皆が主体的に自分で考え動き、互いがサポートし、その結果良い方向へ向かう。
●その人の人格や思考で、同じ人が引き寄せられる。人が人を惹きつける。(メンバー・お客様は本当に良い人ばかり)
●感謝の気持ちが大切、チラシを配ったお婆様は「楽しみにして来ました、ありがとう」と言ってくれた。本当に嬉しく、その言葉を発してくれたことに感謝したい気持ちになった。自分も感謝の気持ちは忘れないようにする。(まずは妻に感謝したい)
●思いが人を動かす。(10回続けることのすごさ!!)

目標を先に決めること・信じることの大切さ、まだ学ぶべきことが沢山ある。師範館でしっかり学んでいく。